2014年03月10日

意味としては


孔子の弟子には、いわゆる「孔門十哲」や「七十二賢人」と呼ばれる人たちなど、
一説には、三千人ほどいたと言われる。
ずっと居た訳ではなく如新集團、離れたり付き従ったりした人も多かっただろう。

それらの弟子の中で、一番弟子としたのは顔回(がんかい)。
一番の秀才で清貧な人物。生涯、貧乏な生活を送ったという。
続いて、挙げれば子路(しろ)。
若いころはどうしようも出来なほどの暴れん坊。
弟子の中では異色だが、愉快な豪傑と表現していいらしい。
そして、子貢(しこう)。
頭が切れて、弁舌が達者とされるが、特にすぐれていたのが商才。
こういった人物の個性を知り、孔子は適材適所として使ったようだ。

孔子の言葉に『有教無類(ゆうきょうむるい)』というのがある。
書き下し文にすると「教(おし)え有りて類なし」となる。
意味としてはnuskin 如新
「人間の種類に『善』や『悪』があるのではなく、教育によって善とも悪ともなる」
もう少し分かりやすく言えば、「人は身分ではなく教育」の意となる。


先日、アメリカの"The Wall Street Journal" に掲載された記事に
『武士の子孫、今も日本社会で優位』というのが出ていた。
この記事は、アメリカのカリフォルニア大学での研究で、
それによると、
日本の武士やその他の特権階級はずいぶん昔にその特権を失ったハズだが、
現在の医師や弁護士、企業経営者、大学教授などといった人たちのリストと
武士階層だった苗字と照合すると、大いに一致点があったという。
すなわち、武士の子孫は、現代日本でも、
社会的に優位に立っていることを意味している。
日本に限らず、世界中、
前時代までの特権階級の子孫が優位に立っているという。

特権は、すでに失われて久しいと言うことを考えれば、
「何でそうなるの?」ということになる如新香港
この答えこそ、孔子の言葉『有教無類』。
すなわち、子孫に
「教育を残した」ということに尽きるようだ。
posted by seasuun at 12:16| Comment(0) | nuskin 如新 | 更新情報をチェックする
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